連載:32歳、厄年だった頃 その5
その3日後、Cと言う大学病院へ行くため、御成門へと降りた私。
その日はちょうど雨。6月の初め頃でした。
紹介状経由でしたので、初診手続きをし、脳神経外科へ。場所は地下。
少し建物が古いけど、トイレはウォシュレット。ちゃんとしてる。
雰囲気はズーーンと暗いかと言うとそうでもない。
脳神経外科の外来受付のお姉さんも凄い感じが良い。
予約した時間から30分ほど遅れて、私の名前が呼ばれた。
画像を見た先生、速攻で…
「これは、紛れもなく手術をした方が良いです。幸い良性ですよ。」
そして、次にとんでもない?一言が!!
「これね、しかも呼吸を司る所に出来ててね…このまま放置してたら、人工呼吸器行きでしたね…。後、硬膜内にも血腫があるので、二箇所摘出で、かなり難易度が高いけど、大丈夫!うちは日本でもトップクラスでこの手の手術をやってますので!」
これを聞いて私の心の中…
…えっ?、、
わたし、、、、寸前だったの??
人工呼吸器行き?????
と言う心の中の声が炸裂。
で、この診察時に分かったのが、以下のこと。
・男性がなる率が高い。
・他の大学病院でこのケースが見つかっても、適切な処置が出来る病院は少ない為、結局はこのCの大学病院へ紹介状が回ってくる率が高い。
と、言うこと。
私、めちゃめちゃ回り道していたという件。
そして、私のケースはかなり難易度が高い為、この診察をしてくれた先生がサブに回り、
メインで執刀をしてくださる先生との診察もこの日にする事になりました。
この診察時に言われたのが…
「小脳にもいくつか良性の腫瘍があり、これはしかるべきにガンマナイフでやるかと思います。この症状からすると、母斑症(これは難病指定の病気名。VHLという名前もあります)の疑いがあるので、手術後に内臓も調べましょう。」
と…。
一気に、畳み掛けてくるような、事実の数々。
もう、ビックリとしか言いようがない。
凹みましたが。
この日に手術の日取りと入院日も決まり、
Cの大学病院もとい、今現在も大変お世話になっている慈恵医大病院に入院手続きを1人でしました。
(この日、実家の親は用事があり付き添いなかったのですが、入院は覚悟していたので自然と手続き等は動揺しなかったです。)
病院を出たのは午後14:00だったかな。
雨もひどく降っていました。
何か、涙を流してくれてたのかな…。。今思えば。
手術は8/26に決まり、それまでの2カ月はとにかく、楽しい事とかを最優先にして行こうと。
と言う事で、次はこの入院までの2カ月の話やら代替医療の話をさらっと1-2回書いて、入院日からのお話しを書こうと思います。
ではー。